演技者としての価値観と、確固たる演技力を目指す劇団です

                伝統と革新的な理論で演劇界の発展を目指します。

劇団有機座のご紹介

劇団有機座の簡単なご紹介と、
「有機座教義集」の概要です。


詳細を確認する

現在の募集要項

現在募集中のオーディション、ワークショップ等の、詳細です。


詳細を確認する

出 演 者 募 集 !!

 有機座2017年11月3~5日
  テネシーウィリアムズ短編集vol.2
  出演者オーディションのご案内です。


    >>>詳細を確認する

劇団有機座とは

劇団有機座は、{悪魔の様に繊細に、天使の様に大胆に} をスローガンに、1977年都内で活動を開始しました。
活動当初より、原則として、バイオレンスとセックスを含む題材は演目の対象外でした。また、当時からブームになり始めていた、コント劇的な演 技スタイルも採用せず、スタンダードなストレートプレーを中心に演目を選定していました。

演技論的には、スタニスラフスキーシステムの研究・実践を繰り返し、現在も継続して行っています。感覚を頼りにする演技ではなく、確固た る演技術の習得に努力を重ねて来ました。

日々の稽古では、虚構の世界を演じる事を念頭に、舞台に嘘を持ち込まない事に特段の注意を払っています。特に、昨今はTVドラマで見慣れ てし まった、使い古された表情・仕草は、特別な演出意図が無い限り排除し、現代に馴染むリアリズム演劇を日々模索追求しています。
こう言った事から、「有機座」と言う名前は、スタニスラフスキーシステムに度々登場する「有機的行動」から取り、劇団有機座と言う名前に なりました。
演技・演劇と言う物は、ご存知の通り芸術で有る以上、大変に奥が深く、一日にして十分な演技力が身につくはずも無く、日々の基礎稽古も、 終点が見えないエンドレスに続いて行きます。これは単に、演技論や劇団の運営システムが十分であったとしても、役者個人のモチベーション を、終わり無く維持し続ける事は、個人の大変な努力が不可欠であり、その集合体である劇団として、活動を続ける事は、数多くの経験や哲学 が必要とされます。
役者個人や劇団に、多くの経験値が求められるものの、我々の演技論の一番の柱に、「内面的刺激によって正当化されない、すなわち、心理の 関わりに関係無い動きと言うものを、認める事は出来ない」と言う、大前提が有ります。勿論、これすら実戦する事は多くの訓練が必要なので すが、「感情」を表現する事が芝居だ、と勘違いしている事が多々見受けられるのが、日本演劇の現状です。「感情」は定着しづらく、演技手 法の中心に置く事は好ましくありません。

google ad

ここから大事 (^^ゞ

感情と言うものは、何かの行動から生まれるものであり、その状況を整理し記憶す る一連の「有機的」作用なのです。
もしも、足元にコブラが居たとしたら、大半の人はとっさに飛びのくはずです。この時、怖くて飛びのくのでは無く、生存本能で反射的に飛びの き、恐怖の感覚は、その後からやって来ます。
つまり、ここでの感情を表現しようとする試みは、人間の自然の法則に反した状態で、客観的には「ウソ」に見えてしまいます。
我々の稽古では「直ちに行動せよ」が、重要なキーワードとなっています。相手役と、いくら演技プランを練ったとしても、大半は、実際に動いて みると、的外れであったり、話し合いでは見落としていた、多くの事に気づいたりもします。

  「感情を表現するな、直ちに行動せよ。」

日本は昔、文明開化で西洋の文化を急激に吸収しようとしました。その過程で、音楽学校・美術学校は早い時期から開校しましたが、演劇学校は大 分たってから、芸術学部の一学科としてやっと開講しました。その結果、未だに日本には確固たる演技論は無く、古典芸能に見られるだけです。
この状況が、本来演技指導が出来るスキルを持たない、自称演技講師達を生み、混沌と混乱と多くの誤解を生んでいるのが現状です。こう言った日 本の演劇環境の中で、演出家の操り人形では無く、自立した一人の演技者として、芸術家としての立場を確かな物とする為、押しも押されぬ演技術 と、夫々の役者としての哲学を見つける事が、これからの演劇界・映画界には重要な要因で有ると考えます。